写真というもの
Posted on | 2006年 10月 19日 | Permalink
Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/lightgraph/www/blog/wp-content/plugins/post-plugin-library/common_functions.php on line 174
【写真】
(1)光学的方法で感光材料面に写しとった物体の映像。一般には物体からの光を写真レンズで集めてフィルム・乾板などに結像させ、これを現像液で処理して陰画とし、印画紙などに焼き付けて陽画を作る。日本では1857年に島津斉彬を撮影したのが最初といわれる。
(2)絵画・小説などで事物のありのままを写しとること。写生。写実。
「しかるをしひて―を旨として…専ら真物(まもの)の情態をばただありのままに演出せば/小説神髄(逍遥)」
(3)〔「活動写真」の略〕映画。
——————————————————————–
ふと思ったのが、最近ケータイカメラくらいでしか写真とってないなあ、と…。学生時代に写真店でバイトして以来写真を撮ることに目覚め、学生時代はカメラをもって夢中になっていましたね。でも腕前はいつまでたってもあがらなかったですけど。
いい写真を撮るっていうと、やっぱりカメラマンの腕前だとか、機材だとかが大前提であることは間違いないと思うけど、自分が何より重要だと思っているのは「タイミング」なんじゃないか、と。天候の具合、光の加減、その時にその場に起こる現象、自分の感覚と動作。偶然の重なりが一枚の写真を生み出すのだと思います。そしてそれは偶然にして必然ではないかとも思う。というのは、写真を撮っているのではなく、撮らせてもらっている、のではないかと。誰(何)に?と言われても、うまく表現はできないのですが…。そしてもちろん、そんな良い写真はフィルム一本に一枚でもあればいいんですけどね。そんなもんだと思います。なかなか一撃必殺で撮れるもんじゃないですし。
あと、いい写真って、結局選び方だと思うのです。撮ってしまって、フィルムに残ったもの。そこからどれをチョイスするかということ。それをどういう風に並べるかということだと思っています。
デジカメ写真ですが、光の加減で水面が金色に。水鳥がたてる波紋も美しい。
関連する(かもしれない)記事
- Not Found
コメント
2 コメント - “写真というもの”
コメントをする
2006年 10月 19日 @ 23:53
>写真見て一言
あぁ。。冬が来るなぁ..
>自分が何より重要だと思っているのは、「タイミング」。
オレもそう思う。
あと、想像力(創造力)。
ぬぬっ!?と、被写体を見てなにか感じても、必ずしもその時の角度じゃなかったりする。
例えば、上から見てなにかを感じても、実は下から見上げた角度にピンと来たんだ!!みたいな。。
それはやっぱ、自身の想像(創造)力だと思う。
所謂プロは、その力が広く大きいんかな?
それぞれの五感で感じたことを、また別の五感で感じたり、感じ直したりすることを、「共感覚」ってゆうらしい。
例えば、秋風の涼しさを色や匂いで感じたり感じ直したり。
ワインの味や香りを、ソムリエが表現するのもそう。
その感覚が優れた人は、
芸術家としても大成する傾向があるんだって。
一般人でも、トレーニングにて出来るとある。
ダビンチやシューベルトやピカソらは、
その感覚に優れた人間だったようです。。
2006年 10月 20日 @ 00:21
ははは、実はこの写真は今年の春ごろ撮影したもの(笑)
写真の大事な要素、想像力(創造力)、
確かに大事ですね。
写真というものを、いろんな要素が絡み合って、それらがひとつのコマに落とし込まれたものと考えると実に奥が深い…。
特に夕景写真など撮ってると思うのですけど、あの色って一瞬一瞬変わっていくんだよなあと考えると、その場に居合わせていることを運命に感じてしまいます。巡り合わせというか、この風景を撮るべくして自分はここにいるんだという、それこそ運命的な感情。もうここまでくるとある意味妄想ですが(笑)自分がタイミングと言っているのは、ある種そういう不可思議な力で、その美しい写真を"撮らせてもらっている"と思えてしまうことが多々あるからなのです。ヘタクソのくせして語っちゃいましたね。
別に写真の腕がなくても、
なんだか知らんが結果的キレイな写真撮れた、
ってなれば僕はそれだけで嬉しいですけどね。
共感覚ですか。
勉強になります。
これから意識してみようかな。
D寅さんはなんか持ってそうですよね。