人体の不思議展をみてきた
Posted on | 2009年 8月 15日 | Permalink
プラストミック (Plastomic) とは、解剖学において使われる、献体された人間や動物の遺体、または遺体の一部(内臓など)を保存し、標本とするために用いられる技術の1つである。身体を構成している水分と脂肪分をプラスチックなどの合成樹脂に置き換え、顕微鏡レベルでの細胞組織の構成を殆ど保ったまま、素手で触れることができ、腐敗を起こしたり悪臭を発生させたりすることもない、人体や動物の標本を作り出すことができる。
松江のくにびきメッセで開催されている「人体の不思議展」に行ってきました。じつは松江へ巡回してくる前からこの催しにはぜひ行ってみたいと思っていたんです。
この「人体の不思議展」、なんと本物の人の体を使って作られた人体標本を間近に見ることのできる催しです。人体のしくみをリアルに実物大でそのまんま見ることができるのです。これは本当に貴重な体験。
会場に入るとまずは昔の芸術家が描いた人体解剖のスケッチなどを展示されたブース。前置きですね。これがあるからその後の標本展示ブースの衝撃をある程度やわらげてくれるのかも知れない。そう、実際の人体標本はやはり圧倒的なインパクトがありました。
標本展示ブースには筋肉や神経、骨格やら内蔵やらをむき出しにした人の標本がいくつもいくつも展示されておりました。想像はしていましたがその光景はやはりただ事ではない何かを感じずにはいられません。
展示されている標本はプラストミックという技術を使って作られているそうです。標本というと防腐のためのホルマリン漬けになったものを想像しますが、プラストミック標本は人体の水分や脂肪をシリコンに置き換えて固めるのだそうです。こうした標本は無臭ですし管理もしやすいのだそうです。
この標本をひとつひとつ順番に見ていくわけですが、まず人体の構造を観察しよう、とかいう考えの前に、「これ、本物なのかあ…」とか「さすがにちょっと不気味な感じがするなあ…」という思いを抱いたのが正直なところです。しかし生前にご自分の意思をもって献体になられた方々に対して、怖いとか不気味とかそういう言葉は僕には口が裂けてもその場で漏らすことはできませんでした。医学のためにその身を捧げられた方々の標本、その意思を思うとここで出来る限り何かを得て帰りたいという気持ちになりましたね。
会場では本当にいろいろな人体の部位を観察できる標本が展示されており、くまなく食い入るように見ました。骨格と筋肉の様子、内蔵の配置、人体の断面、病気の内蔵などなど。また、人間の脳の標本を手に取って感じることのできるブースもありました。全身の人体標本に触れるブースもありましたが、これはさすがに触ってみる気にはなれなかった…。僕たちは会場を一巡した後、さらにもう一巡繰り返して見ました。
「人体の不思議展」すごかったです。もうすごいとしか言いようがありません。「すごい」連発でした。だってすごいんだもん。人体の構造をいろんな角度から観察できた体験はとても有意義でした。おそらくこんな機会はめったにないでしょう。ここでもっとも正直な感想を言うと、人とはとても尊いものだなということかな。いろんな意味で。
僕らはフツウに生活していますが、この体の中にはじつに様々な器官が詰め込まれていてそれらの働きのお陰で人間は生命を維持できているのです。これはフツウのことではないです。奇跡に近いものがあります。人間の体、そして命ってとても尊いものだと思いました。
また生前にご自分の意思で人体標本になられた方々には本当に感謝したいです。その意思は果てしなく尊いと思う。献体された方々は今はもう亡くなり、命のない身体のみを持っています。僕らは彼らと同じ構造をした体を持ちつつも、その中に命を宿している。うまく言えないですが、この日、なにかひとつの死生観にも似たものが芽生えた気がしました。
たまたまお盆の期間中のことでしたが、偶然にも生と死についてより深く考えられる機会を得たと思います。そしてこれまた偶然にも、この日の夜は映画「火垂るの墓」がやっていたので見ました。言わずもがな…な内容ですが、もう命の大切さを考えられずにはいられない日となりました。